毎月1日は氏神様へお参りに。今日は忘れずに行ってきました。
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直前で忘れる症候群
毎月1日の朔日参りは前職を退職しフリーになると決めた頃から続けているから・・・もう5年くらいになる。それが、今年に入ってからお参りに行くのをすっかり忘れてしまうことが多くなってしまった。1日に行くことは覚えている。もちろん。前日の夜も「明日は妙見さんにお参りだ」と考えている。なんなら、朝起きた時だって「今日は妙見さん」と行くき満々。なのに・・・なのになのに!いざ出かける時にすっかり頭から消えている!ひどい時は車に乗っても思い出さない。仕事場に着いてようやく「あっ・・・」と気付くのだから救いようがない(泣)
こう言うことは他にもある。一番やってしまうのは「お誕生日のお祝いメッセージ」 朔日参りと同じで、前日はちゃんと覚えているし当日だって認識している。朝早すぎるのは張り切りすぎだし、夜はまるで忘れていたみたいじゃないか。だったら午前中のいい時間かお昼頃にメッセージしよう!と計画は万端なのに・・・ハッと気付くと夜だったり、最悪は翌日になって思い出す。「忘れてないのにー」となる訳だ。
早朝散歩で妙見さん
今朝は珍しくまだ暗いうちに目が覚めた。最近の日の出はだいたい6時過ぎだからそれより前だということはわかった。もうちょっと寝ていようかとも思ったけれど、意外とスッキリしていたので「よし!早いうちにお参りに行こう」と起きて支度をした。出かける頃には6時半くらいになっていたけど、少し曇っていたし早朝だからいっかーとスッピンのまま。一緒に連れ出すクゥクゥはさほどお散歩を喜ばなくなっている。途中で何度も方向転換して戻ろうとするのを何とか歩いてもらう。家で留守番をさせたいけれど残して行くと輪をかけて吠えまくる。ご近所迷惑なので置いていけないのだ。
めちゃくちゃ久しぶりの早朝散歩。空気がさらりと心地よい温度で体の中の酸素が入れ替わって頭がスッキリする。やっぱりいいなぁ、朝の空気。
普段はそんなに多くない参拝者も、一日の朔日参りの時は次から次へと人がやってくる。ご近所さんはもちろんだけど、経営者らしき人が多い気がする。(思い込み?!)
足の健康にご利益
妙見宮の創始者である和気清麻呂公は現小倉南区湯川の温泉に入って足の傷を治したと言い伝えられていて、そのことから足が立つ=足立(あだち)となり足の健康にご利益があると云われている。地元のサッカーチームも参拝に来られているようで祈願の看板?もある。(ギラヴァンツだったかな←うろ覚え^_^;)
この写真は今日のではなく、夏前だったか・・秋の日差しとは違うのがわかる。小倉市街が見渡せていい眺めだ。